【短編小説】ブラジャーをしなくなった日
ある日、わたしはブラジャーをしなくなった。
誰に言われたわけでもなく、誰に報告するでもなく、ただやめた。
単にワイヤーにしろゴムにしろ、胸部を締め付けられるのが嫌だったからだ。
ブラジャーをしないと胸が垂れると言われているけど、別に垂れてもなんの問題もなかったし、乳首が浮こうがそれは男性も同じ状況なので特に気にする必要がないことに気づいた。
その日以来、薄着でも、厚着でも、ブラジャーをしなくなった。
コンビニに行くときも、会社に行くときも、祖父の葬式に参列するときでも、ブラジャーをしなくなった。
そうして訪れた日々のなんと解放的なことか!
大いなる陰謀から解き放たれたかのような、新しい自分に生まれ変わったかのような。それは18世紀の西洋の女性たちに捧げたくなるほどの快適さだった。ワイヤー跡は痒くならないし、洗濯する際に気を使うこともなくなった。黒のレース地、ラインが美しい茶色のワイヤーレス、彼氏と会うとき用の勝負もの、小花の刺繍が散りばめられた水色のお気に入り。全て捨てた。形見分けのように残ったパンツたちもついで捨てた。
遡れば、わたしは小学校高学年のときからブラジャーをつけさせられていた。スポーツブラジャー、いわゆるスポブラだ。母親に「そろそろつけてもいいかもね」と言われ、近所の西友で買ってもらった。白地に青い星が散りばめられている柄だった。そのときはなんだか大人の仲間入りしたみたいで気分が良かったが、白い体操服を着たときに透けている気がして、ブラジャーはすぐに恥ずかしいものになった。
だが、クラスの女子の中ではブラジャーをしているかいないかが密かに話題になっていた。
(ねぇ、奈々子ちゃんはブラジャーしてる?)
(うん、スポブラだけどね。)
(そうだよね、でも◯◯ちゃんは絶対まだしてないよね。)
(えー、あー、どうだろう。そうかもね)
早めにつけていてよかったなんて安心していたのも束の間。発達途中の乳房はズキズキと痛むし、スポブラのゴムの跡には締め付けによっていつも太ったミミズのような湿疹ができていた。時を同じくして初経がきた。生理のせの字も知らなかったわたしは、トイレでパンツを下ろしたときのあの光景と匂いを今でも忘れられない。生理痛が重い方で、下腹部の体験したことのない痛みに授業中こっそり泣いたりもした。
それでも、大人になるための、赤ちゃんを産めるようになるための準備だと教わり、誇らなくてはいけない気がした。
ブラジャーをしなくなってから半年以上が経ったある日、わたしの部屋に遊びに来ていた付き合いたての彼とそういう空気になり、わたしは自分から服を脱いでいった。すると彼は驚いた顔でこう言った。
「え、あれ、ブラジャーしてないの?」
突然すぽんと現れた二つの乳房に興奮する以前に頭の中がハテナで埋め尽くされてしまったようだ。してないよ、と答えると彼は意識を取り戻したのか、急にわたしを質問攻めにしてきた。
「え、なんで?いつも?普段からしてないの?」
「胸のかたち崩れるんじゃないの?いいの?」
「え、電車乗るときもしてないの?Tシャツでも?」
全ての質問にイエスで答える。
「うそでしょ!?ねぇ、待って、絶対街中の男たちからいやらしい目で見られてるじゃん、ねぇ、お願いだからして!?」鼻息を荒くしながら彼は言った。
そんな彼を見つめながら、わたしはどんどん気持ちが萎えていくのを感じていた。今日はなしだなぁとぼんやり考えていると、「え、ブラトップ的なのもしてないの!?」と一人でまくし立て続けていた彼がこう提案してきた。
「分かった。今度一緒にかわいい下着買いに行こう。俺がお金出すから」
そういえばブラジャーって安くないし、節約にもなってるじゃん。これは革命だ。
「とりあえず今日は解散しようか」そう言うと急に焦りだした彼が奈々ちゃ〜ん、とわたしの乳房にしがみつこうとしてきたが、その手をヒラリとかわし、着々と服を身につけていった。
時には人とブラジャーについて話してみもしたが、意識高い系の人になったんだとの見方をされたり、そんなこと考えたこともなかったと言われたりなど、反応はまちまちだった。夜寝る時にもブラジャーをする人もいれば、乳房が大きくて揺れるのが嫌だからつける人、胸が小さいからブラジャーの話題が昔から苦手だった人、自分も締め付けられるが嫌いだと言う人もいた。
いつの日からか、わたしは頭の中の法廷に弁護士として立つようになっていた。
「日常生活において、ブラジャーをする必要性を全く感じない!これまで乳房を持つ人たちに強いてきた同調圧力に、わたしは一石を投じたい!ブラジャーはしてもしなくてもいいと!」
「否!ご婦人方がブラジャーをつけなくなれば世は乱れる!」
検事だろうか。顔はぼんやりとしているが、飛び散る飛沫は見えた。
「なにが乱れると申すのですか!勝手に乱れるのは一部の男性だけでしょう!自分たちはしていない矯正具を乳房を持つ人たちだけに押し付けるのは間違っている!そんなに突起物が気になるのであれば、まずは自分たちの男性器に前張りでもつけるよう義務化してくださいよ!」
「そんなことをすればこの国の少子化が進む一方だ!断固反対する!」
わたしは思わず笑った。「ハッ!少子化!なぜ国家なんぞのために子どもを産めと言われなければならないのですか!おぞましい!この国は子宮を持つ人たちの生殖まで管理しようというのですか!まるでディストピア小説ではないですか!」
検事の顔が赤く、そして膨れ上がるのが見えた。「国のために国民が働き、女が子どもを産むのは先進国として至極当然の在り方である!そしてご婦人方は慎ましくあらねばならぬ!」「慎ましく!?慎ましくブラジャーをつけていることが慎ましく、つけていないと国家に反抗的だというのですか!では、わたしが今ブラジャーをつけているかどうか、あなたは分かりますか!?」「貴様!もしやこの厳粛な場においてブ、ブラジャーをしていないとでも言うのか!!」
法廷はその後も頭の片隅で、街中で、社会のなかで、繰り広げられている。
検事の基盤は盤石だった。誰と入れ替わろうが、なんと言われようが、機械のように同じ言葉をむやみやたらに繰り返すだけになっているというのに、奴らの主張には一定数の支持者がいた。
それでもわたしは答弁をやめなかった。ブラジャーをしたい人はどんな人であれつければいい。つけたくない人はつけなければいい。ただそれだけだ。ただそれだけのことを認めさせたいのだ。本当は誰かの許可を得る必要なんてない。だが、大きな風が吹かなければ動くことができない人もいる。ブラジャーをつけるつけないは当人の自由だということにアクセスできない人もいる。
わたしはブラジャーをしなくなっただけのはずだった。
しかし、今ではこんなにも必死に選択的ブラジャーの着装を訴えている。
なぜわたしなんかが、とも思う。ただブラジャーをしなくなっただけなのに。
いつか誰かが言ってくれるだろうと思っていた。広めてくれるだろうと思っていた。わたしが抱いてしまったこの違和感を。
だがある時気づいた。声を上げるのはわたしだったのだ。わたしでもよかったのだ。
そう思えたときから今までずっとわたしは訴え続けている。
ブラジャーはしてもしなくてもいい!