【Wildflowers Letter vol.32】人間を諦めないために
こんばんは。最近すっかり団地の草むしりおばさんと化しているミホ子です。
春の訪れとともに無限に生えてくる雑草との、勝ち目のない戦いです。まぁ正直、どれが雑草でどれが違うのかなんてよく分かっておりませんので、恐らく抜いてはいけないものも多少引っこ抜いていると思われます。もしわざわざ植えた人がいたら申し訳ない限りです。それと同時に抜いた方がいいものを後生大事に残している可能性もあります。だって、可憐なお花が咲くんですもの。雑草のお花だってかわいい。これぞナチュラルガーデン、なんて。それにしても、雑草は雑草だなんて誰が定義しているんだよ、どう考えたって人間が勝手に雑草呼ばわりしているだけじゃろがいと思ったので、wikiで調べてみました。
雑草(ざっそう)の定義は主に社会学的なものと生物学的なものに分けられる。
社会学的な考えでは、農耕地などで作物以外の、人の意図にかかわらず自然に繁殖する植物、景観を損ねる所に生える人に望まれない植物など、間接的、直接的に損害を与える所に生える植物のことを指す場合が多い。社会学的な雑草の定義は個々の人間の主観、価値観により変わり、どの種が雑草であるかの定義も人それぞれである。
まぁ、そうですよね。害虫とか害獣とか、勝手に害悪呼ばわりされて、はた迷惑な話ですよ。いや、そんな瑣末なことは感知もせず、たくましく生存しているか。いいぞー、どんどんやっちまえー。そう思う一方で、Amazonで草むしり用の鎌を買おうとしているわたしはどこまでも人間ですね。
慣れちゃだめだ、慣れちゃだめだ、慣れちゃだめだ
実家に帰省するたびに本を少しずつ持ち帰る習性があるのですが、先日母の誕生日で帰った際にも、文庫本を30冊ほど持ち帰ってきました。10代で買った本も多く、久々に手に取れば読んだ当時の記憶がぼんやりと想い起こされるものです。大岡昇平『野火』もそのうちの一冊。戦争という狂気がいかにして人間の理性や正気を奪っていくのかを描いた大岡昇平の代表作であり、日本の戦争文学においても重要な作品です。もし現代の戦争文学を書くとすれば、今日は開戦前夜として語られるのでしょうか。
先日、会社を経営する友人と話していて驚いたことがありました。経営者の中には、会社の利益のために排外的な政策を掲げる政党を支持する、または支持せざるを得ない人がいるのだそう。そういう立場の人がいるのは知っていましたが、実際に友人の周りにいるということを聞くと、正直、まだ少し動揺しています。人命や人権より、自身の利益の方が大切だと本気で思っているのだろうか。戦争や差別を利用しなければ会社として成り立たないのだろうか。だとすれば、それは起業方針として破綻しているのではないか。もちろん、わたしは経営のけの字も分かりませんので、様々な事情があることを想像することしかできないのですが。そんなことをぐるぐる考えているここ数日です。
経営者に限ったことではなく、多くの日本人が戦争を非現実的に感じられてしまうこと、そしてどんな政党でも、誰が総理大臣でも、何も起こらないし、何も変わらないだろうという、日本人の共通認識とも言えるこの感覚は、2000年以降に自民党がじわじわと築きあげた幻想だと思うのは考えすぎでしょうか。仕事や生活に必死ゆえに政治をウォッチできなくさせ、軍事産業の需要を高めるのは、戦争を起こしたがっている権力者の常套手段な気がしてなりません。
人間は適応する生き物なので、何もしなければ今の状況にどんどん慣れていってしまうのだと思います。米が5kg5,000円超えるのも当たり前になってきていませんか。戦争を経験された方のお話の中でも、気づいたら戦争が始まってたということがよく言われます。殺傷能力がある武器を輸出できるようなることも、改憲に向けた議論が進むことも、全然当たり前じゃない。慣れちゃだめです。
日本だけでなく、アメリカをはじめ多くの国で非常事態が起きているこんな時代に、個人ができることはあるのでしょうか。わたしは力強くイエスと言いたいです。2018年に亡くなったラッパーECDの言葉を借ります。
”ONE PERSON, ONE POWER”
”どうして無力だと思いたがるのか。あるよ。ひとりにはひとり分。力が。”
わたしたちには、ちゃんと一人分の力があるのです。それを忘れさせてくる勢力に大人しく従う必要なんてありません。
ということで、今号ではわたしたちにできる具体的なアクションをいくつかシェアハピいたします。もちろん全てをやる必要はありません。我が国の悪党どもに負けてたまるか精神だけでも感じてもらえれば幸いです。
俺たちのキルジョイ・リスト
まず何よりも、自分の考え、そして言葉を持つことが肝要だと思います。どこかで見聞きしただけの言葉はすぐに見破られますし、影響を与えることはありません。そしてそれと同じくらい大切なのが、その言葉を持って対話すること。昨今の日本では、政治的な議論がタブー視されてきたせいで、特に政治に関する対話は我々日本人のウィークポイントであるとわたしは睨んでいます。タブーに切り込んでいくことは、正直変なやつに見られるでしょうし、空気の読めない面倒なやつ認定をいただく可能性も高いです。でも、そんなの今に始まったことではなくないですか?こんなちっぽけなニュースレターを読んでいる時点で、あなたはもう十分ユニークな人です。戦争反対を唱えるときでさえ緊張させられるこのご時世で、一緒に周りをドン引きさせる=キルジョイしていきましょうぜ。
では、具体的にどのように言葉を獲得していけばいいのか。それは情報を入れ、自分で考え、言葉にしていくことを実践するしかない、というのがわたしなりの結論です。そうです、めちゃくちゃ地味で地道です。でも、学んでいくことを諦めてはいけないし、そんな必要もないと思うのです。
1.本を読む
本を読むことは、専門家の知識やこれまでの研究結果、当事者の声を数時間で知ることができ、物事の前提条件を知る上で非常に有効な手段です。まずは自分の関心のあるニュースや事柄に関する本を読むのをおすすめします。「教養は広く浅くすばやく身につける」がここ数年のトレンドですが、そんなものは糞食らえです。すべてを網羅する必要はありません。わたしの経験上、ひとつの社会問題を深めていけば、自然と多くのイシューと複雑に絡み合っていることが分かり、いつの間にか全体像をつかむことになるでしょう。正直のんびり構えている余裕はありませんが、ここはじっくり進めていいところだと思います。そんなこと言ったって、どんな本を読めばいいのか分からないぜという方は、わたくしにご相談いただいてもいいですし、図書館で司書に相談するのもいいと思います。レファレンスといって、正式なサービスです。
2.新聞を読んでみる
わたしの読者の中に日頃から新聞を読んでいる方がどれほどいるか分かりませんが、面白いですよ。やっぱり、ネットニュースに比べて、新聞は物質として残りますし(図書館でもアーカイブされ続けます)、簡単に修正できないですし、そこまで適当なことは書いてないと思うんですよね。あと、文体や字数の規制が厳しいので、まともな日本語を読める点でもおすすめです。ただ、最近多いデジタル版の購読は普段新聞を読む習慣がない人にとっては逆に負荷が大きいのかなと思っています。安くないですし、なぜか続かないんですよね。なので手始めに、コンビニで一紙だけ買ってみるのはいかがでしょうか。あと、これはわたしの邪心ですが、令和に電車やカフェで新聞を広げて読むのって、ちょっとかっこよくないですか?
3.ラジオやPodcastを聴く
忙しくてじっくり座ってなんてられないっすよ!という方には、ラジオやPodcastで耳から情報を仕入れるのが良きと思われます。ラジオって、他人の話に口を挟まず傾聴する訓練にもなると思うんですよね。一回受け止めてから自分の考えをまとめるのは、対話をする上でも大切な技術だと思います。一方通行な気がするかもしれませんが、番組にメッセージを送ってみたり、SNSでハッシュタグをつけてつぶやくと案外中の人は見ていると思うので、ぜひふるって参加してみましょう。
4.友達や家族と話す
いよいよ対話の実践です。別に喧嘩をふっかけるわけではないので緊張する必要はないのに、なんだかすごくドキドキしますよね。分かります。でも、なにも政治的な話って政党や政策のことだけじゃないと思うんです。「個人的なことは、政治的なこと」というフェミニズムの有名なスローガンにあるように、身の回りの困りごとや心配事だって、最終的には政治につながっている。その悩みの根本にどんなねじれがあるのかを一緒に考えることもとても大切なことだと思います。そして大抵の問題は政治や構造のせいなので、問題の原因が自分ではないことを知るのはセルフケアにもつながります。また、他者と話すことで、自分だけでは想像し得なかった問題点に出会うこともあり、実はとても大切で貴重なことだと思うのです。対話というとハードルが高いですかね。本当に、日常会話の延長線上にあるものだと思います。
5.選挙やデモ/プロテストに行く
選挙は、政治に主権者であるわたしたちの意思を伝える大切なアクションです。投票したい政党や政治家がいないという悩みをちらほら聞きますが、選挙は最悪を回避するためのものと考えるといいのかなと思います。この党に政権をとってほしくないから対抗馬に投票する、というのも全然ありだと思います。そして、デモやプロテストはわたしたちのNOが可視化される場所です。日本にはあまり馴染みがない、と言いたくなりますが、60年代の学生運動を思い出してください。いや、まぁでも、怖いですよね。学生運動の話題を出したら余計怖くなりますよね。失礼しました。でも、遠くから見てみるだけでも十分だと思います。ふーん、こんな感じかと雰囲気を知るだけでも大きな収穫です。最近はペンライトを使ったポップな雰囲気のデモが多いですし、コールなどがないサイレントデモや本を読んで語り合うリーディングマーチ、街中で音楽かけて踊るクラブ的なデモなど、多種多様なスタイルがあるので、自分にあったデモを探してみるのもいいかもしれません。
6.BDSを取り入れる
BDSとは、ボイコット(Boycott)、投資撤収(Divestment)、制裁(Sanctions)の頭文字をとった抗議運動の名称です。最近では、イスラエルによるパレスチナでのジェノサイドに抗議するために世界中で行われています。「BDS リスト」で検索すると対象企業が出てくるので、その企業をボイコットすることで抗議の意を表明することができます。でも、買わない選択があるなら、買う選択もありますよね。企業理念やクリーンな生産過程に共感できる企業の商品やサービスにお金を払うことは、その考えを支援することにもなります。ただ、どんなアクションにもいえることですが、全てを完璧にできる人なんていません。マクドナルドやスターバックスを利用したからもうだめだ、とは思わず、自分にできる範囲で心がけることが大切だと思います。
7.活動団体に寄付する
金銭面での支援でいうと、寄付という選択もあります。最近だとクラウドファインディングができたおかげでやりやすくなりましたよね。もちろん、ここでも自分のやれる範囲で精神が大切になってきますので、無理なきよう。ちなみに、デモの会場に行くと運営団体の方がカンパを募っていることもあるので、そこでチャリンとすればデモにも参加できて、寄付もできて一石二鳥です。あれ、電子マネーにも対応できればもっと気軽に寄付できると思うんですが、初期投資にお金がかかりすぎるからあんまりないのかな〜。
以上、長くなりすぎたので少々割愛してお届けいたしました。もちろん方法はこれだけではないので、皆さんがやっている、知っているアクションがあればぜひ教えてください。でも、声を大にして言いたいことは、完璧を求めない!人との違いに落ち込みすぎないで!ということです。こういうのって、体力も気力もたくさん使います。無理して頑張って、自分がダウンしては意味がありません。また、情報の取り方が多様化したことによって、考えの極端化が加速度的に進んでいることもあり、思いがけず身近な人と意見がぶつかることもあると思います。でも、そういうときこそ想像力をもって、対話していくことが大切になってくるのではないでしょうか。意見が全く同じになることを目指すとなかなか難しいので、結論は急がないことも大切です。
確かに、ただ願っているだけで良かったフェーズはとっくに過ぎていて、実際に行動していく必要がある段階なのは本当にそうだと思います。でも、何度も繰り返しますが、自分のできる範囲で。でも、できる範囲のことはやっていこうぜ〜ということが言いたかったミホ子でした。
最後に、前半に書いた友人との会話の中で勇気づけられた言葉をご紹介して今回のニュースレターを締めくくりたいと思います。
文学やアートの力は、わたしがずっと信じていることで、いまこそ必要なものだと思っています。そういった思いを同じにしている友人がいるという事実は、この恐ろしい現実の中でどれほどの光だろうかとつくづく思う今日この頃です。
「目の前の数字で頭がいっぱいにならないように、感性を死なせないように、アートや小説に触れ続ける」

先日行った国会議事堂前でのデモ。光、光、光。
Mihoko’s Recommends. ݁₊ ⊹ . ݁˖ . ݁. ݁₊ ⊹ . ݁₊ ⊹ . ݁˖ . ݁
サッチャー政権下で荒れる社会を芸術というアプローチで記録し、抵抗したイギリスの若いアーティストたちにとてもエンパワメントされた(高市はサッチャーをリスペクトしているので余計にシンパシーが…)。人間の数少ない好きなところは、芸術というある種のユーモアで自己表現ができるところ。
今回のニュースレターを執筆するうえで多分に参考にさせていただいた。巻末にあるフェミニストのためのキルジョイ・サバイバル・キットが最高。
塚本晋也監督による映像化作品。今、プライムビデオで視聴が可能。かなりショッキングな映像が多いので、無理なさらず。
哲学者・永井玲衣さんのライフワーク「哲学対話」は、人と対話するうえで大切なスキルがたくさん詰まっていて勉強になる。もちろん毎回テーマも興味深い。この回は今号の執筆においてたくさんのヒントをいただいた。
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