【Wildflowers Letter vol.20】浮上した隙に
こんばんは。暑いのも寒いのも嫌なので、窓を開けながら冷房をつけてしまうミホ子です。
ご無沙汰です。減薬した影響か、しっかりめに体調を崩してままならない日々を送っていたら一ヶ月も書けていませんでした。離脱症状というやつなんだと思いますが、激しくしんどかったです。まだこんなにキツい波があるのかと割と絶望です。今も毎日の悪夢と過眠と金縛りに振り回されているのですが、今日は奇跡的に体調が良かったので、この機を逃すまいとポチポチとキーボードを打っています。身体が動くこと、意欲があることの素晴らしさよ。
とはいえ、書くことが思いつきませんね。今月から通うことになったカウンセリングについてはブログで書いてしまったし、とにかくひどいありさまだったので、特筆してお伝えしたい話題もなければ世の中の動向もあまり把握できておりません。でも、強いて言えば、それでもこうやって書くことに意識が向いたことに安心しています。本当にそれどころではなかったし、なにか書きたいなんて全く思えなかったので。わたしは実のところ書くことに興味なんてないんじゃないかと不安だったのです。良かった。
皆さんの体調はいかがですか?わたしの周りでは体調を崩している人が何人かいて、心配です。わたしが言えたことではありませんが、ときには休むのも勇気だと思います。
ちなみに今はノートパソコンでこれを書いています。デスクトップを買ってからはあまり出番がなかったのですが、やはりあると便利ですね。あまり身構えなくていい感じがして、今の気分にはありがたいです。もう12年選手なのですが、まだまだ頑張ってもらうことになりそうです。
そういえば、先日久しぶりに文芸誌を買いました。好きな作家の新作や惹かれる特集が組まれているときにたまに買うのですが、思いがけず面白いエッセイや論文に出会えることがあるので、好きなんですよね。書店に勤めはじめたての頃、文学文芸の担当だったこともあり、色んな作家に触れられるから読むといいよと当時の上司に教わったことを思い出します。あれ、文芸誌のことだったっけ。まだパラパラとしか読んでいませんが、やっぱり雑誌っていいなと思いました。今はネットでも色んなインタビューや対談を無料で読むことができますが、それでも一番の最新情報は紙媒体の雑誌に載っているような気がします。腰を据えて話されている感もあるといいますか。あと、文芸誌といえばThe New YorkerやGRANTAなどの海外の文芸誌がやっているポッドキャストを聞くのも好きですね。正直全然なにを言っているのか分かりませんが、分からないなりに雰囲気や熱量を楽しんでいます。わたしが知らないだけで日本にもあるのかな。作家の生の声を聞く機会ってあまりないので、あったら面白いんじゃないのかな、なんて。読書バリアフリーにも繋がるのでは、なんて。日本文学もっと盛り上がらないかなぁ。せっかく海外人気が爆発しているのに、なぜ本国が冷めた態度を取り続けているのか、不思議でなりません。結局のところ余裕がないってことに尽きるのでしょうか。あぁ、出ました、日本の余裕のなさ問題。
豊かさって、どこから来るのでしょう。どうやって育まれるものなのでしょう。わたしは想像力が大切なキーワードな気がずっとしています。相手の立場に立って、その人がなにを思い、どう感じるかと思いを馳せる。その力があるかないかで言葉が変わってくるし、行動も変わると思うんですよ。そしてその土壌を築くのに欠かせないのが、読書だと思うんです。物語であれば、登場人物に自己投影したり感情移入すること、エッセイなどであれば、その作家の人生を疑似体験し、自分とは違う人間の思考や感情に触れること。これって読んだ人にとってかけがえのない、貴重な経験なのではないかと思います。先月の参院選、しんどかったですね。わたしはぼーっとしているので、排外主義がこんなにも積もり積もっていたなんて、気付いていませんでした。思えば米国でリベラルな本がバンされる事案が起きていたり、保守派の政治家が次々と国のトップに選ばれたりと、世界的に見てもその兆候はあったのだと、今なら分かります。でも、自分の国でここまで露骨な差別がまかり通ってしまうようになっていたなんて、本当に驚きました。でも、そんな今だからこそ、本は誰にでも開かれたものであってほしいし、いつでも自由に触れられる社会であってほしいと願ってやまないです。ほんの小さな種かもしれないけど、本には人と人との間にある溝を埋めてくれる力があるから。そんなことを、長年本に携わる仕事をしながら思っていた気がします。もちろん、本には他にも色んな魅力的な側面があるので、人それぞれの楽しみ方をしてほしいのは大前提ですが。そんなご立派な理由で本を読むわけじゃない!という気持ちはわたしも持っています。でも、それとこれは別に相反するものではないし、共存し得るものでもあると思います。本に触れる理由や切り口なんていくらあったっていいですし、読み方やペースだって自分の好きにしていいんですから、もっと好き勝手に読書ライフを謳歌しちゃいましょうや。
(今、唐突に我に返って震えています。わたしは一体なぜこんな熱弁をし始めたのでしょうか…。ただでさえ暑いのに…)
これはイギリスで買った『ダロウェイ夫人』100周年記念ポスターと先日買った文學界。
久しぶりだったので思いつくままに書き連ねてみましたが、いかがでしたでしょうか。読みづらかった、のではないでしょうか。引き続き体調は不安定だと思うので、次回の更新がいつになるかは分かりませんが、気長にお待ちいただけたら嬉しいです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。では、シーユー。
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