【Wildflowers Letter vol.8】自分で感じ、考える
一月は行ってしまう。二月は逃げてしまう。3月は去ってしまう。
毎年のことながら真理すぎて色々追いつきません。もう3月28日ですか。2025年の四分の一が終わったということですね。ゾゾゾッ。毎日無駄にしているつもりはないものの、なんだか計算が合わないです。
川村記念美術館
先日、友人のAとDIC川村記念美術館に行ってきました。3月31日で休館になるとのニュースで存在を知って以来、なんとしても行きたかった。(Aには渋滞に次ぐ渋滞の長距離運転をさせてしまい、本当に心苦しかった申し訳ない&ありがとうね…)あと三日で休館する美術館をレコメンドするのもどうかと思いましたが、まぁいいでしょう。

館内撮影禁止だったので外観のみ。しかしこの外観こそが最高of最高だった。
美しく凛々しい木々と足元に視線を誘う可憐な花々、雄大な池が広がり、そのほとりにはほんのりピンクに染まり始めた桜。うっかり極楽浄土に来てしまったのかと思うほど、それはそれは圧巻な光景が目の前に広がったのです。そう、館内に入る前にわたしたちのテンションはクライマックスを迎えたのでした。
もちろん、展示内容も大変素晴らしかったです。この場所では最後となる今回の展示のタイトルは「環境・建物・作品の3つの要素の調和」。
当館は設立当初から作品・建築・自然の三要素の調和を大切にしてきました。美術館の敷地内に入り、林間の小道を抜け、水鳥の遊ぶ池を眺めながら、館内の静寂が拡がるエントランスホールへ。館内にいながらも随所に外の自然を感じることができます。ぜひご自身の眼と心でこの美術館を体感してください。
本当にその通りでございまして、恐れ入谷の鬼子母神な展示でした。内容としては、川村記念美術館が所蔵している約180点の作品からなるコレクション展だったのですが、あんなにも多岐に渡る作品群にも関わらず、あの統一感は一体なんなのでしょうか。なんというか、一貫して余白の美を感じるというか。解説がなかったのも関係しているのかもしれませんが、すべての作品を通して、我々鑑賞者たちに感じ、考える余地を残してくれているなという印象を受けました。美術は全く詳しくないわたしでもコンセプトがしっかりしているのがなんとなく伝わってくるのもすごかったです。全館撮影禁止だったので、スマホを手にしている人は音声ガイドを聴いている人のみ。なんでもすぐに調べることができてしまう世の中で、こういった環境は貴重なのでは。いやー、本当に豊かなアート体験でした。
わたしたちが行った前日、公式SNSで入館制限のアナウンスがされていたので行列覚悟で向かったのですが、なんと奇跡的に空いている時間帯にいくことに成功。本当に偶然ですが、西陽の差し込み方も含めて一番いいタイミングで行けた気がしています。感謝。

これは帰りの道中に現れた夕日。写真では伝わりませんが、見たことがないデカさの太陽でした。
こんなに素晴らしいのに、あの植物たちは、池の水鳥たちは一体どうなってしまうの…と心配していたのですが、庭園の一部は無料で開放されるみたいですね。一安心。お時間があればぜひとも足を運んでいただきたい美術館でした。
動物と暮らすということ
今週は実家で飼っているワンコのお見舞いのために一週間ほど帰省していました。体調不良の原因はまだはっきりと分かっていないようなのですが、きっかけは散歩中に草で傷つけてしまった眼球の治療のために付けていたカラー(エリマキトカゲのような、首につけるやつ)とコンタクトレンズだと思われるとのこと。付け始めた直後からストレスでだんだんと吠えなくなり、食欲も減衰し、最近は後ろ足の感覚がないようで、歩くこともできなくなっていました。うるさいくらい元気な子だったので、見ているのも苦しいです。
はぁ、こういう思いをしたくなくて距離を保ち続けてきたんですけどね。わたしは昔からお別れするときに辛い思いをするくらいなら最初から親交を深めたくないタイプの人間なのですが、それは友人やパートナーに対してだけではなく、犬に対しても同じ感覚でした。この犬を飼うときにも親に「世話は一切しない」宣言をしていたほど。実際、撫でたこともほとんどありませんでした。
でもしょうがない、無理ですね。いざこうなると。無関心を装っていたのも、関心があるからなんですよね、多分。そもそも人間含め、自分以外の動物と暮らすというのはこういうことなんでしょうね。つまり人生とは、ということですよね。あーあ、嫌だなぁ。一人で生きていたくなる。そんなことはできないのですが。
心配してくれているリアル友人の皆さん、本当にありがとうございます。

はよ元気になれぃ。
悲しい気持ちになってきたので、今回はこんなところで終わりにしたいと思います。ではまた。
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